やきもの研究室

中国・浙江省・南宋官窯・龍泉大窯古窯址研究の旅

要旨

中国の青瓷の研究の第 2 弾として、浙江省の杭州南宋官窯博物館(郊壇下官窯)、老虎洞古窯址(修内司官窯)、婺州窯、龍泉大窯楓洞岩古窯址、龍泉窯青瓷博物館を見学した。今回の旅の新知見は、杭
州南宋官窯博物館では、龍窯址を、龍泉窯青瓷博物館では、紫金土を直に見学が出来た事である。また、龍泉の大窯村から楓洞岩古窯址まで徒歩で向かったとき、付近の風景がすばらしかったことである。

1. はじめに

 昨年に続いて、東京芸術大学の緒方啓介先生と先生の友人である孫文選氏のお世話で中国浙江省の南
宋官窯址郊壇下官窯、修内司官窯(老虎洞古窯址)、金華・婺州窯及び竜泉大窯楓洞岩古窯址の研究の旅
を 8 月 20 日から 4 泊 5 日で行うことが出来た。以下に行程を示す。





2. 杭州南宋官窯博物館(図 1a 〜 c)

 博物館は、西湖の南の閘口烏亀山の麓に位置している。宋代の古代形式を元に、建築されており、展示品と遺跡がある。展示場は、三室に分かれており、第一展示場は、出土された精巧で美しい陶器が展示されている。第二展示場は、古代中国の陶器の歴史と南宋官窯建設後の政治、経済の基礎及び発展と状況が展示してあり、第三展示場は国内の古代の陶器の研究と模倣品の運用、哥、汝、定、鈞、宋代の窯と越(浙江省諸国の一つ)の逸品が展示されている。遺跡内の面積は 1700 平方キロメートルあり、古代手作業をしていた作業場の遺跡と龍窯遺跡が保護されており、中国で最大の遺跡が保護されている建設物である。作業場の水路、練泥地、陶車坑、釉薬の瓶、素焼きの炉、まだ焼いていない陶器や窯炉などが出土され、当時の生産設備や作業の工程が分かり、高度な研究材料に値している。

3. 浙江省博物館(図2a 〜 e)

 浙江省立の博物館で 1929 年に建造。江南園林の特色を残す庭園式建築が特徴。新石器時代から近代の文明史まで網羅する幅広い展示で、収蔵品は 10万点をこす。展示は本館、青瓷館、書画館、工芸館、家具館と分かれており、河姆渡文化の陶器、良渚文化の玉器とシルク製品、越国の青銅器など貴重な品々が展示。また清代に造られた文欄閣も残されている。「四書五経」を収蔵するための七大蔵書閣のひとつ。庭園や建築など見所の多い博物館となっている。



4. 南宋官窯 「郊壇下官窯・修内司官窯(老虎洞窯)」

 南宋官窯は首都杭州あった青磁の窯で北宋の汝官窯とともに中国陶磁の至宝とされている。修内司官
窯と郊壇下官窯がある。
①修内司官窯(老虎洞窯)(図3a 〜 b)は杭州西湖の南の鳳凰山下あった皇居内に築かれた窯とされていたが、1996 年、老虎洞窯址から出土した蕩箍(ロクロの軸下に用いるリング状の部品)に修内司銘が刻まれていたことの発見による。その作は油色瑩徹で精緻を極めたとある。
②郊壇下官窯は浙江省杭州の南約 4 キロのところの烏亀山の西麓に築かれた窯である。郊壇官窯青瓷
の特徴は、素地は鉄分のある陶胎で、黒もしくは灰黒色を呈し、つくりは紙のように薄くこれにや
や藍色をおびた粉青色の釉薬が厚くかかり、荒い貫入、と細かい貫入が一面にある。



5. 金華・婺州窯青瓷研究所(図4a 〜 g )

 浙江省金華県金華・婺州 2 にあり越州窯 1 風の青磁を研究している、陶芸家の陳新華氏が主宰する青
瓷工房である。
 工房見学の後、陳先生の案内で元代の越州窯系の古窯址を見学。



6. 龍泉窯(図5a 〜 h )

龍泉窯は中国最大の青瓷の産地として世界的に有名である。浙江省南部の龍泉を中心に慶元、雲和、麗水一帯に、広く分布し地域全体で約 500 の窯址が確認されている。南北朝時代頃から青瓷生産が開始され、北宋時代末頃から南宋、元、明時代にかけて、その製品は中国国内で広く流通すると共に、東アジアから西アジア、東アフリカにわたる広い地域に輸出された。南宋時代中期には南宋官窯の影響を受けた良質の青瓷の生産を開始し、元、明時代には大形製品を盛んに生産する。
 日本には鎌倉時代頃から莫大な量の龍泉窯青瓷が輸入され武士や、貴族、僧侶などの富裕層を中心に幅広く愛好された。特に、侘茶流行した 16 世紀以降には、南宋時代の粉青色青瓷を「砧青磁」、元、明時代前期の青瓷を「天龍寺青瓷」、明時代後期の青瓷は「七官青瓷」と日本独特の呼び名をつけている。



7. 龍泉窯青瓷博物館(図6a 〜 m)

 南朝、唐、北宋、元、明、清代の青磁や工房内部の作業風景や龍窯の断面が模型で再現され、また、瓷石(図6i )、釉石(図6j )及び紫金土(図6h)の標本が展示されている。敷地面積は 10 平方キロメートルある。



8. 紫金土

①中国杭州産の含鉄土石。南宋官窯青磁や龍泉窯の青瓷の素地や釉に使用されている。
②分析成分
SiO2 58.85 Al2O3 22.4 CaO 0.27 MgO 0.49
K2O 3.16 Na2O 0.22 Fe2O3 7.04 TiO2 0.76
焼失 6.58

9. 上海博物館(図7a 〜 f )

 世界に誇る膨大かつ質の高い中国古美術のコレクションを主とする。1952 年に設立され、上海の中心地である人民広場に新館が建てられる。新館は中国古代の宇宙観に従い方形を土台にした円柱形の建物である。所蔵品は百万点余りで、青銅器、陶磁器、書画が最も優れ、他に玉器、象牙、漆、家具、甲骨、印章、貨幣及び中国各民族の伝統工芸品などを展示してある。



10. まとめ

 筆者の 30 年来の研究テーマは「中国の北宋・南宋代の青瓷の再現研究」である。昨年は北宋の名窯である磁州窯、鈞窯、汝窯の窯址の見学をした。これに続いて今年は南宋官窯及び龍泉窯址をつぶさに探訪出来、念願が叶い感慨無量であった。特に杭州南宋官窯博物館での郊壇官窯址の龍窯の窯址では窯の構造が良く分かる展示の仕方がなされていた。そこの博物館で求めた論文集の中に、紫金土の成分表が発表されており大変参考になる貴重な論文の発見であった。龍泉窯青瓷博物館では龍窯の内部の模型が再現され窯焚きの様子が想像できる展示であった。また、紫金土原石、釉土原石および瓷石が展示されていて、直に見ることができたのは感動であった。また龍泉窯の青磁には、すべての青磁の様式が含まれている大産地だと云うことが改めて認識することができた。
 この旅の目的である龍窯の構造と焼成及び紫金土の解明の2つの目的が達成できた事は、大変有意義で収穫のある旅であった。

[注]
越州窯:後漢時代に創焼され、南朝時代に急速に発展して北宋時代まで続くが、北宋中期には龍泉窯に地位を譲る。窯址は、呉興・紹興・上虞・余姚・寧波・奉化・臨海・蕭山など浙江省北部を中心に確認されている。このうち、上虞や寧波では後漢から青磁が焼造されていたことが確認されており、晩唐期には国内のみでなく大量の青磁が海外に輸出され、日本をはじめとする東アジアのみでなく、東南アジアや西アジアの遺跡からも越州窯青磁が出土している。
2) 婺州窯:金華市。後漢時代に創焼された越州窯系の青磁窯。

参考文献

  • 大阪市立東洋陶磁美術館:図録『幻の名窯 南宋修内司官窯
  • 杭州老虎洞窯址発掘成果展』 大阪市立東洋陶磁美術館 2010
  • 小山富士夫:『陶器講座第 6 巻 中国II宋』 雄山閣 1973
  • 杭集南宋官窯博物館:『南宋官窯論文集』 文物出版社 2004
  • 緒方啓介先生作成資料 2012
  • 愛知県陶磁資料館:図録『龍泉窯青磁の謎を探る』 龍泉窯青磁
  • 展開催実行委員会 2012
  • 森達也・徳富大輔・長久智子・横山志野:図録『龍泉窯青磁展』
  • 龍泉窯青磁展開催実行委員会 2012

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    最新の質問と回答
    2022.08.16 質 問
    T.H  さん
    現在磁器の主流となっている天草陶石ではなく泉山陶石によるテストとのことですが、天草陶石との違いを簡単にご教授願えませんでしょうか? よろしくお願いいたします。
    2022.08.18 回 答

    簡単には難しいですが、天草陶石は磁器の特徴を全て兼ね備えた最高の陶石です。しかも単味で磁器土になりかつ成形しやすいです。それに比べて、泉山陶石は可塑性が格段に劣ります。その上硫黄など硫化物が多く白さに支障をきたします。一番の問題は、作品、製品の歩留まりが悪いです。1616年に発見された日本最初の磁器とされています。でも近年の発掘調査等から、それ以前に有田の西の方の窯場から初期の磁器が発掘され驚くことに泉山の陶石ではなさそうだと、分析結果が最近佐賀大学の方で発表されました。有田出身としては泉山陶石に関心を持ち如何にかして復活したい想いから研究しています。また通説では有田で天草陶石の導入は明治以降とされていたのですが、有田でも明治以前幕末頃密かに使用されていた形跡があるそうです。このように、我々陶芸に携わる者にとって有田は原料の宝庫で、研究を続ける楽しみがあります。是非機会があれば直に訪問してみて下さい。また有田と天草は関係があり井伊直弼が暗殺されなかったら佐賀藩が管轄してたかもとの噂があります。当時天草は天領で幕府の下にあり、井伊直弼とは縁戚関係にあった佐賀藩の天草の天領預かりが泡と消えたらしい。