やきもの研究室

初期柿右衛門様式磁器における釉および素地の比較研究

要旨

本研究の目的は,初期の広義の柿右衛門様式磁器の再現をめざすことである。そのためには、複数の材料を用いて釉薬及び素地の再現実験をすることが必要である。本論では、その実験の過程と結果及びそれについての考察が示される。

その結果、釉薬は白川山土(水簸物)と天然柞灰で素地は泉山陶石を使用し薪窯で焼成したものが目的の磁器に近似していた。


1. はじめに

 肥前磁器は1640〜50年代に著しい技術革新を果たし、朝鮮的技術から中国的技術に大変化を遂げる。その過程で多くの技術が一新された。その主なものとして色絵の技術があげられる。色絵の技術は朝鮮にはなく、朝鮮陶工によって始められた肥前磁器にも色絵の技術はなかった。しかし、当時、中国では色絵の磁器が盛んに製造されており、最も付加価値の高い磁器としてわが国にも輸入されていた。焼き物商人東島徳左衛門が長崎にいた中国人に色絵の技術を教わり、それを年木山(泉山付近という)の窯場で働く陶工、酒井田喜三右衛門(後の初代柿右衛門)に伝える。喜三右衛門は苦心の末色絵磁器の焼成に成功し、できた色絵を1647年(正保4年)に長崎に持参して売ったと『覚』に伝えられる。

―柿右衛門様式磁器の成立―

 1660年代を境に、初期の色絵磁器は、濃い色調から明るい色調の繊細な絵付けへと変わっていく。その過程で柿右衛門様式磁器の特色の一つである乳白色の素地が開発される。それに繊細な絵付けを施されたものが柿右衛門様式磁器であり、それは1670年代には成立する。


2. 研究内容

 古陶磁の研究には,二つの方向がある。一つはいわゆる古窯跡などの発掘調査による考古学的資料や伝世品、文献資料などから製品の年代、意匠など製品の表面的特徴から知ることができる研究であり,一つは古陶磁の科学的分析と再現研究である。本研究では初期の柿右衛門様式磁器の再現をめざす過程で必要な釉薬(対州長石,白川山土—天然柞灰)および素地(天草撰上,泉山陶石)における比較研究をおこなうものとする。




3. 実験方法

3−1 陶土物性試験

2種類の陶土(天草撰上、泉山陶石)の性質(生試験体重量、乾燥試験体重量、焼成試験体重量、焼成体乾燥重量、焼成体飽水重量、生試験体長さ、乾燥試験体長さ、焼成試験体長さ、含水率、乾燥収縮率、強熱減量、全減量、吸水率、彎曲度)の比較検査をおこなう。

テストピース用石膏型と2種類の陶土(図3)を用意し、まず型の重さを電子天秤で計測する。次に型の中に陶土を入れ全体の重さを計測する。そして型に彫ってある長さを計るための切り込みをノギスで計測する。その後、テストピースが乾燥したら、ガス窯により1300℃で16時間還元焼成(SK10 RF)を行い。含水率、焼成収水率など種々の焼成性状を調べた。                  

彎曲試験は試験すべき材料で長さ約13cm、幅2.5cm、厚さ1cmの角板を作り、図4のように両端の間隔を10cmにして耐火粘土製の三角棒にのせ焼成する。焼成後(図5)彎曲度を測る。




3−2 計算方法

  1. 含水率(%)=(Wg-We)÷Wg×100  
  2. 乾燥収縮率(%)=(Lg−Ld)÷Lg×100
  3. 焼成収縮率(%)=(Ld-Lf)÷Ld×100
  4. 全収縮率(%)=(Lg-Lf)÷Lg×100
  5. 強熱減量(%)=(We-Wf)÷We×100  
  6. 全減量(%)=(Wg-Wf)÷Wg×100
  7. 吸水率(%)=(Ww-Wd)÷Wd×100

Wg:生試験体重量,  We : 乾燥試験体重量,

Wf:焼成試験体重量, Ww:焼成体飽水重量,

Lg:生試験体長さ,  Ld:乾燥試験体長さ,

Lf:焼成試験体長さ, Wd:焼成体乾燥重量,

ただしWf=Wd とする。これらの式により算出した。


3−2釉薬試験

 肥前地方の初期の釉薬の調合(化学的知識がなかった時代)は杯合わせで行われていた。灰と石粉(長石、陶石、釉石等の微粉砕物)にそれぞれ水にまぜて別々の瓶に泥漿を作っておき、両方の泥漿を柄杓で調合するという方法である。石粉としては、対州長石(水簸物)、白川山土(水簸物),灰は天然柞灰、素地は天草撰上泉山陶石を使用した。表1、表2  より乾燥重量に換算し100gずつ調合しライカイ機で20分擂り,2種類の素地(天草撰上,泉山陶石)に施釉(すべて素焼きの素地を用いた)の後、ガス窯により1300℃で16時間還元焼成(SK10 RF)を行いその変化を調べた。


表1 調合表

原料   NO1−11−21−31−4
対州長石 (水簸物)10杯10杯10杯10杯
天然柞灰1杯2杯3杯4杯

表1における各調合の釉薬の組成は表4の化学分析値より

No. 1−1

0.41 KNaO, 0.56 CaO, 0.03 MgO
=> 0.52 Al₂O₃ • 5.06 SiO₂

No. 1−2
0.33 KNaO, 0.65 CaO, 0.02 MgO
=> 0.42 Al₂O₃ • 4.05 SiO₂


No. 1−3
0.21 KNaO, 0.76 CaO, 0.03 MgO
=> 0.26 Al₂O₃ • 2.60 SiO₂ 

No. 1−4

0.16 KNaO, 0.81 CaO, 0.03 MgO
=>0.20 Al₂O₃ • 2.08 SiO₂  




となる。




表2 調合表

原料   NO2−12−22−32−4
白川山土 (水簸物)10杯10杯10杯10杯
天然柞灰1杯2杯3杯4杯

表2における各調合の釉薬の組成は表4の化学分析値より
No. 2−1

0.45 KNaO, 0.53 CaO, 0.02 MgO

=> 0.56 Al₂O₃ • 4.89 SiO₂  

No. 2−2

0.29 KNaO, 0.68 CaO, 0.03 MgO
=> 0.36 Al₂O₃ • 3.26 SiO₂  

No. 2−3

0.22 KNaO, 0.75 CaO, 0.03 MgO
=> 0.28 Al₂O₃ • 2.51 SiO

No. 2−4

0.17 KNaO, 0.80 CaO, 0.03 MgO
=> 0.22Al₂O₃ • 2.01 SiO₂  

となる。



4. 実験結果と考察

4−1 陶土と物性について

a) 含水率(%)

 天草撰上:21.0 %

 泉山陶石:20.3 %

b)乾燥収縮率(%)

 天草撰上:4.0 %

 泉山陶石:5.0 %

c) 焼成収縮率(%) 

 天草撰上:9.4 %

 泉山陶石:9.5 %

d) 全収縮率(%)

 天草撰上:13.0 %

 泉山陶石:14.0%

e) 強熱減量(%)    

 天草撰上:8.7 %

 泉山陶石:14.0 %

f) 全減量(%)

 天草撰上:27.9 %

 泉山陶石:31.5 %

g) 吸水率(%)

 天草撰上:0 %

 泉山陶石:0 %

h) 彎曲試験(図4、図5に示す)

 天草撰上:0.2 cm

 泉山陶石:0.3 cm


以上の結果より泉山陶石は天草撰上に比べて収縮率,彎曲度共にやや大きかった程度で大差はなかった。

4−2 釉薬の各調合による性質について

表3 釉薬の各調合と焼成結果

表3 釉薬の各調合と焼成結果


 釉薬の各調合による焼成結果(図6と図7)を表3に示す天草撰上と泉山陶石の違いは,前者は真白く(素地が白く乳白手風),後者は灰色(素地は灰色で古九谷風)に焼き上がっていた。また、釉における対州長石(水簸物)と白川山土(水簸物)の違いはほとんどなかった。
 以上の結果から初期の柿右衛門様式磁器の再現には、素地は泉山陶石、釉は対州長石(水簸物)、白川山土(水簸物)−天然柞灰1杯釉 を中心とした調合が適当である事がわかった。有田産の原料に限定するなら白川山土(水簸物)である。



5. 総括

No.2−1の釉薬の組成は

0.45 KNaO, 0.53 CaO, 0.02 MgO
=> 0.56 Al₂O₃ • 4.89 SiO₂  

となり下記の有田磁器の古い釉薬の組成の化学的数値がすべて範囲内である

 有田磁器の古い釉薬の組成範囲(詳しくは参考資料に示す)

0.35~0.46 KNaO, 0.52~0.65 CaO, 0.02~0.04 MgO
=> 0.56~0.99 Al₂O₃  4.61~7.70 SiO₂

0.02~0.04 MgO

以上よりNo.2−1の釉薬の組成は化学的数値が有田磁器の古い釉薬の組成範囲内である。

また素地は泉山陶石が小溝窯出土の染付磁器の化学分析値と近似している。  今回はガス窯による結果(テストピース)であるが、当時は登窯による焼成である(比較のためにガ

ス窯と柿右衛門様式窯の焼成温度と焼成時間との関係を図11に示す)。そのために今回の実験より得られたデータをもとに釉No.2−1を調合し、泉山陶石と天草撰上で壷を成形して、素焼きの素地と素焼きしていない素地に分けて施釉し、本学の柿右衛門様式窯で焼成(1250℃ 26時間 SK10 RF)を試みたところ、図6のような焼成結果であった。また、裸詰みと匣鉢に入れたものとは、前者は草創期の肥前磁器の発掘品のような上がりを見せ、後者は初期の柿右衛門様式に似た上がりを見せた。また、初期赤絵が生産された山辺田窯近くの小溝窯出土の染付磁器の分析値(蛍光X線分析値 佐賀県窯業技術センターによる)が、本学の総合機器センターの蛍光X線解析による泉山陶石の分析値にも近似していることから山辺田窯でも泉山陶石が使用されたと推察される。  以上の結果から、現在入手できる原料により再現できる可能性を得た。特にNo.2−1の釉薬と泉山陶石の素地で薪窯焼成が目的の磁器に近似していた。

図8 柿右衛門様式窯 攻め焚きの様子
表4 原料の蛍光X線分析値(Wt%)




図11 ガス窯(上方のグラフ)と柿右衛門様式窯(下方のグラフ)の焼成温度/℃と焼成時間/Time(hr)



参考文献

1)高嶋廣夫:陶磁器釉の科学,内田老鶴圃,  1996年

2)高嶋廣夫:趣向の陶磁器その技法,  人間と歴史社,2000年

3)加藤悦三:釉調合の基本,窯技社出版,1970年

4)素木洋一:陶芸のための科学,建設綜合資料社,  1973年

5)素木洋一:釉とその顔料,技報堂出版,1968年

6)宮川愛太郎:陶磁器釉薬,共立出版,1965年

7)大西政太郎:陶芸の伝統技法,理工学社,  1999年

8)津坂和秀:釉薬基礎ノート,双葉社,2004年

9)窯業協会編:セラミック工学ハンドブック,  技報堂出版,1993年   

10)窯業協会編:窯業工学ハンドブック,技報堂,   1965年   

11)『古伊万里勉強会』資料,佐賀県窯業技術センター,1986年

12)研究科資料,佐賀県立有田窯業大学校,2005年               

13)佐賀県立九州陶磁文化館,柿右衛門—その様式の全容—,1999年

14)佐賀県窯業試験場研究報告第11号,1968年

参考資料

有田磁器の古い釉薬の組成

深川三杯釉
0.45 KNaO, 0.54 CaO, 0.02 MgO
=> 0.90 Al₂O₃ • 7.35 SiO₂  

深川四杯釉
0.39 KNaO, 0.60 CaO, 0.01 MgO
=> 0.70 Al₂O₃ • 5.00 SiO₂  

深川五杯釉
0.42 KNaO, 0.56 CaO, 0.02 MgO
=> 0.58 Al₂O₃ • 4.20 SiO₂  

香蘭並釉
0.36 KNaO, 0.60 CaO, 0.04 MgO
=> 0.569Al₂O₃ • 4.90 SiO₂  

香蘭碍子釉
0.38 KNaO, 0.60 CaO, 0.02 MgO
=> 0.60Al₂O₃ • 4.90 SiO₂  

城島二杯釉
0.46 KNaO, 0.52 CaO, 0.02 MgO
=> 0.98 Al₂O₃ • 7.70 SiO₂

蔵春亭並釉
0.34 KNaO, 0.64 CaO, 0.02 MgO
=> 0.58 Al₂O₃ • 4.70 SiO₂  

工業学校並釉
0.36 KNaO, 0.60 CaO, 0.04 MgO
=> 0.56 Al₂O₃ • 4.62 SiO₂  

肥前陶磁器発掘品前期釉
0.28 KNaO, 0.64CaO, 0.08 MgO
=> 0.79Al₂O₃ • 4.72 SiO₂

肥前陶磁器発掘品後期釉
0.30 KNaO, 0.69 CaO, 0.01 MgO
=> 0.68 Al₂O₃ • 5.35 SiO₂

ゼーゲル博士分析有田釉e
0.27 KNaO, 0.74 CaO, 0.00 MgO
=> 0.55Al₂O₃ • 4.44 SiO₂  

ゼーゲル博士分析有田釉f
0.27 KNaO, 0.73 CaO, 0.00 MgO
=> 0.56 Al₂O₃ • 5.02 SiO₂

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    最新の質問と回答
    2022.08.16 質 問
    T.H  さん
    現在磁器の主流となっている天草陶石ではなく泉山陶石によるテストとのことですが、天草陶石との違いを簡単にご教授願えませんでしょうか? よろしくお願いいたします。
    2022.08.18 回 答

    簡単には難しいですが、天草陶石は磁器の特徴を全て兼ね備えた最高の陶石です。しかも単味で磁器土になりかつ成形しやすいです。それに比べて、泉山陶石は可塑性が格段に劣ります。その上硫黄など硫化物が多く白さに支障をきたします。一番の問題は、作品、製品の歩留まりが悪いです。1616年に発見された日本最初の磁器とされています。でも近年の発掘調査等から、それ以前に有田の西の方の窯場から初期の磁器が発掘され驚くことに泉山の陶石ではなさそうだと、分析結果が最近佐賀大学の方で発表されました。有田出身としては泉山陶石に関心を持ち如何にかして復活したい想いから研究しています。また通説では有田で天草陶石の導入は明治以降とされていたのですが、有田でも明治以前幕末頃密かに使用されていた形跡があるそうです。このように、我々陶芸に携わる者にとって有田は原料の宝庫で、研究を続ける楽しみがあります。是非機会があれば直に訪問してみて下さい。また有田と天草は関係があり井伊直弼が暗殺されなかったら佐賀藩が管轄してたかもとの噂があります。当時天草は天領で幕府の下にあり、井伊直弼とは縁戚関係にあった佐賀藩の天草の天領預かりが泡と消えたらしい。